定義が違えば議論はかみ合わない
Aさんが「神はあるかないか」と問う。
Bさんは「存在するものはすべて神だ」と考える。
Aさんは神が「この世界のどこかに」あるかないか
を問うています。しかしBさんにとっては、
1.Aさんという人も、
2.神はあるかという問いかけも、
3.それを聞いているBさん自身も、
すべてが神の一部です。Bさんにとって神でないも
のはないのです。
つまり、AさんとBさんとでは「神」の定義が異なる
わけですね。これでは議論はなかなかかみ合わない
でしょう。
同様のことが胸式呼吸と腹式呼吸についても起こる
場合があります。
Cさん:空気は肺にしか入らないのだから「腹式」
などそもそもナンセンスである。すべての
呼吸は胸式呼吸である。
Dさん:腹部をまったく使わずに呼吸などできない
のだから純粋な「胸式」などあり得ない。
すべての呼吸は腹式呼吸である。
もしこのように主張するCさんとDさんが議論したな
らどうなるでしょう。話はいつまでもかみ合わない
はずですね。なぜならCさんとDさんとでは、胸式呼
吸・腹式呼吸という用語の定義が異なるからです。
アシストをどうとらえるか
「ティーチング・ブラス(TB)」という書籍の研究
において、サッカーで使われるアシストという考え
方を筋肉の働きにもあてはめてみました。
呼吸という身体運動を考えるとき、Cさんはアシス
トを軽視する立場、Dさんはそれを重視する立場に
あるといえます。
TBという本は「イタリア・アメリカ式」の胸部に着
目した呼吸法を推奨し、「ドイツ・日本式」の腹部
重視の考えに否定的です。もし前者を胸式呼吸、後
者を腹式呼吸と呼ぶなら、CさんとDさんの「かみ合
わない議論」がここに再現されることになります。
それぞれに異なるものを「胸式/腹式」と呼びなが
ら、胸式派と腹式派に、あるいはイタリア派とドイ
ツ派に分かれて論争することは不毛としかいえない
でしょう。
腹腔周囲の筋肉のアシストを無視するなら、すべて
の呼吸は胸式呼吸と呼ぶことができます。しかしそ
のアシストを重視するなら、あらゆる呼吸は程度の
差こそあれ腹式呼吸の一種といえるでしょう。
四つの腹式呼吸
実際、「胸式呼吸/腹式呼吸」は定義のあいまいな
言葉で、実践者・指導者によって意味する内容が異
なると考えられます。
ここで腹腔周辺筋肉群のアシストを重視し、あらゆ
る呼吸を「腹式呼吸」の一種と位置づけ、それらを
四種に分類するならば、「胸式vs腹式」や「イタリ
ア式vsドイツ式」の対立図式はすっきり整理できま
す。詳細は「四つの腹式呼吸」を参照ください。
この考え方については、幸運なことにこれまで以下
の音楽家と意見交換する機会を得ました。
1.サックス奏者のエリック・マリエンサル氏
2.トランペット奏者のクレイ・ジェンキンス氏
3.WASBE(世界吹奏楽アンサンブル協会)会長の
グレン・プライス博士
4.ワシントン州立大学マーチング指導者の
ブラッド・マクデイヴィッド博士
もちろんこの分類法は仮説にすぎませんし、当然の
ことながら上記4氏の全面的な賛同を得たというわけ
でもありません。
しかしながら、これらの意見交換を通じて四つの腹
式呼吸理論はさらに精度を高めつつあります。それ
らの成果は機会をあらためて発表する予定です。
お楽しみに。